犬の話です。
正月に鳥取たみに行ってから「故郷」について意識してて。私はどこへ帰ったらいいんだろう、と考えていた。松崎は初めて行くのに、なんか「帰ってきた」という感じがした。すべて見たことないものばかりなのに。正月という季節がもしかしたら、どこへ行っても「帰ってきた」と感じさせるのかもしれない。
 
生まれた町田にはなんの思い入れもないし、母のおばあちゃんちのある甲府はおせちの味とか、伯母のすごい性格とかには懐かしさがあるけど、甲府自体は一年に一回か二回正月と夏休みに行くところで、場所に対してはあんまり何も思わない。甲州弁も聞くとすごく懐かしさがあるけど、自分は喋れない。
 
イタリアのシエナは、4か月しか滞在してないんだけど、なぜか、帰ってきたーという感じがする。みんなで郊外へ出かけていて、夜遅くに車で帰ってくると、だんだんシエナの時計塔が見えてきて、ドゥオモが見えてきて、きらきら光っていて、イタリア語で「もうすぐ着くー」とか「やっとついたー」という言葉を覚えて、叫ぶ。
城壁の外のいつもの駐車場にたどり着くと真っ暗に街灯がぽつぽつ見える程度。帰りはとにかく上り坂で、寒い暗い夜道の分岐を一人づつお別れしながら歩いて最後は1人になる。曲がりくねる石畳を登って行って、住んでいた斜めの建物につくと、さらにやっとついたという感じがする。大して長く生活してたわけでもないのに、イタリア料理を食べても懐かしい。
そんなこと言うと、イタリアかぶれとか思われてしまうんだけど、どうやらイタリアってのは「郷愁」っていうものでできてるんだと思う。
 
もう一つ不思議なのは、日本犬、柴犬とか秋田犬に道で会うと、犬がこっちを見てる、「あなた・・・柴犬じゃあ、ないですよね?」という顔でこっちを見る。それで仲良くなると、それらの犬は、人んちの犬で、道で会ってるんだけど「おかえりー!」って言うんだよね・・・何それって思うかもしれないけど、かれらは忠犬ハチ公じゃなくても、いつも何か待っていて、しっぽを振って「おかえりーー!」という生き物なんだよ、きっと。だから、ものすごく懐かしい。
 
まこれはちょっと飛躍しすぎな話だけど。
私はイタリアと、犬に郷愁を感じるという話。
 
岡山は私の故郷になってくれるんだろうか。
岡山を私の故郷にしたい、と思い始めている。